【進路選択】繊細さんは自分基準で進む道を決めることを意識するのが大切なんだと思う
こんにちは。
先日ツイートした👇
そうか、忘れてたな。
— HSPの彩 (@shucbPjOeU49Pvk) 2020年3月16日
今まで頑張れば届くレベルのものより、1つレベルを落としたものを選んできた。
それを選んできた結果、まあまあだなと納得して毎日を送れてた。
仕事選びもその基準でいいのか。
最低限義務が果たせるようなレベルを選んでいけばいいのか。
自分が進む道を選ぶ基準を忘れてた。
について。
わたしは今までに「自分の道を自分で選択する機会」が3回ありました。
高校と専門と就職先を選ぶ時です。
簡単に言うと、進路選択の時ですね。
そのうち2回(高校と専門)は、同じような理由・基準で選んできました。
しかし、社会に出るときの選択は今までと違った理由・基準で選びました。
その結果学んだことがあったし、HSPである私が、自分で決めた基準で生きていくことがいかに大切なのかが分かりました。
今回はなぜ、急に基準が変わったのか、基準を変えたことで起きたこと、自分なりの基準の大切さについて書いていきます。
「学生の時の基準」と「社会に出るときの基準」の違い
まず、学生の時の基準から。
〈高校選びの基準〉
- 今ある学力でいけるレベル
- 内心と学力の判定比が、4:6または3:7のところ
- 普通科でない
- 制服がかわいい
- 付近に遊べるところがある
こんなかんじでした。
〈高卒後進学先選びの基準〉
- 今ある学力かもう少し頑張ったらいけるレベル
- 指定校推薦がある
- 学費がなるべく安いところ
- 自分に向いていそうな校風
- 資格がたくさんとれる
こんなかんじ。
次に、就職先を決めるときは
〈就職先探しの基準〉
- 正社員であること
- 学んできたことを活かせる
- 給料がそれなりにいい
- 社保完備、交通費支給等手当ありのところ
- 相方と定期的に会えるであろう場所の職場
こんなかんじ。
今までのわたしにしてみれば、ずいぶんちゃんとした基準だなぁ…。
今ならそう思います。笑
学生の頃は、本当に自分基準でした。
世間体?や周りのみんなの反応も結構無視して、先生の薦めも断り、勉強は頑張りたくないから目標を下げることもしました。
でも、自分で納得して、自信をもってその道に進んできたし、その道の中で、できる限りのベストを尽くせればそれでいいと思っていました。
しかし、社会に出るときは自分を無視した基準が多かった気がします。
本当は、頑張りすぎるとすぐダウンしちゃうから、なるべく無理がないところが良かったし、お金より自分の体を大切にしたいから休みがそれなりにあるところが良かったです。
だけど、社会に出るときは初めてのことがありすぎるし、社会人としてしっかりしなきゃみたいな考え、世間体を意識しすぎたことがあり、自分の意思とは真反対の基準で就職先探しをしていました。
最終的には、社会に出てみないと分からないから無難な基準でいこうと思いました。親にも心配されないであろう基準というか…。
基準を変えて起きたこと
社会に出るときに急に基準を変えてしまった私ですが、その選択をした結果どうなったのかというと、
- 体調を崩した
- 頑張りすぎた
- みんなについていけなかった
簡単に言うとこんなかんじ。
細かいことは過去の記事にあります👇
全部が全部自分のせいではないと思っていますし、実際のところ、会社に入社して職場の方と一緒になって働いてみないと分からない部分はたくさんあると思います。
でも、社会に出るからといって自分の意思を無視した基準で就職先選びをしてしまったことに後悔しました。
自分のこともある程度は分かっていたはずなのに、なんでその基準を無視してしまったのかその時の自分どうしたもんか…。
いま考えてみればわかりますが、今まで自分基準でしか選択してこなかったのに、突然他人や世間の基準に変えたら、そりゃ今まで通りには行かないよなと。笑
たぶん、正社員じゃなきゃ世間から批判されるのではとビビったり、親に心配させたくないとか、そもそもその基準が、自分にとってどれだけ高い基準なのか分かっていなかったというのもあると思います。
自分基準の大切さと学んだこと
自分基準ではない道に進んだ結果学んだことがあります。
HSPにとって自分基準はとても大事ということです。
HSPが苦手としていることもあると思いますが、それに加えて、自分が苦手なこと、自分には無理なことも含めての自分基準が必要だと思います。
さらに、自分基準で進む道を決めていかないと生きづらさを感じたり、ストレス過多になったり、息が詰まるような毎日になってしまう可能性があるんじゃないかと思います。
良くも悪くも、なかなか風習や文化が変わっていかない日本では、様々な意見をいただくと思います。
でもそこで、
自信を無くして自分を見失っちゃいけないんだろうな、
自分基準から離れちゃダメなんだろうな
と思います。
自分のことを一番わかっているのは自分なんだもの!
その人にはその人にあった髪形や服、色があるように、生き方だってそれぞれの生き方があるでしょ?(人には人の乳酸菌じゃん…)
(ルールや義務は守ったうえで、できる限り自分が納得して生きていけるような道がみつかるといいなぁ…)
それでは。